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2006.03.20

次元幾何学研究会3月例会 第11回例会 in 上野-つづき-2

06-01-21_08-55-02 甲田列さんの話はナーガルジュナの 「中論」 についてであった。時刻も遅くなって帰ろうとしていたとき私の席の横に甲田列さんがこられ、 「中論」 の続きの話をされたのである。私の隣の女性も一緒に熱心に耳を傾けていた。
 注  「中観派」

 甲田列さんが最初に話されたのは”「中論」の内容を一言でいえば「詐欺にかからなくなる」方法が書かれているということです”という言葉であった。聞いただけではその意味が分からなかった。甲田列さんは続けて”つまりあらゆることを否定してしまうからです、自らをも否定してしまうからです”といった。この世に信ずるものはないということから詐欺にかからないということらしい。
 思想の両極端は信ずることと信じないことであるとしたら”「中論」は何ものをも信じないという一方の極端の位置にあるが、「中論」の冒頭では信仰について肯定している”ともいう。
 この話を聞いたとき私は「般若心経」を思いだし”漢訳の般若心経ではあらゆるものを無いと否定しているがやはり冒頭に信仰について肯定している”と言った。
 甲田列さんは”「中論」では徹底的に否定していて救いがない、否定したままで終っています”という。隣の女性が般若心経では最後に真言があるといった。私はこのとき”この真言で生きることを肯定している”と心に浮んだイメージを話した。
 そうこうしているうち、思いだしたように私は”日本の神話はなぜ星座として現れていないのだろうか”と甲田列さんに聞いた。甲田列さんはそのことに答えなかった。
 しかしそれから神を巡った会話の中で耳に残ったのは”人間の根本のところには暴力生が横たわっている、このことに 南方熊楠 は気が付いていたとおもう”、”この暴力性をどう鎮めるのかということが神の役割だった”という言葉であった。
 このとき私の心に浮んだのは犠牲と暴力とは関連しているのではないかということであった。だいぶ前から気になっている 「天皇はスケープゴートであるである」 という考えから離れられないでいたからである。甲田列さんに質問してみると、 生贄 ・犠牲を捧げて暴力を防ぐというのは古代から広く用いられていた方法だという。
 そのご天皇を巡る話が続いたがその内容のほとんどは思いだせないでいる。そして中論の話も未完に終っているので、次の機会にはぜひノートしながら話を聞かなければならないなと自戒しているところである。
おわり。
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