カテゴリー「井の頭史跡散歩」の記事

2005.01.09

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-35 「武蔵野市の歴史・史跡と名所・旧本宿のけやき」

子どものころ吉祥寺駅にかよった道の脇、ときどき行ったお風呂屋さんの裏に大きなケヤキの木があった。近ごろは回りに背の高い建物ができて目立たず、探さないとわからなくなっている。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・史跡と名所・旧本宿のけやき」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2005.01.07

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-34 「武蔵野市の歴史・各所地名のおこり・吉祥寺」

子供のころ吉祥寺というお寺がなぜないのか、疑問に思ったことはなかった。吉祥寺がお寺だと、考えたことがなかったからに違いない。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・地名のおこり・吉祥寺」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.31

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-33 「武蔵野市の歴史・昭和時代-2」

荒井源吉という名前と姿は、小学校から中学までの卒業式での挨拶と、卒業証書の署名として知っていた。
吉祥寺駅前も次第に新宿のようになり、吉祥寺駅近辺の住民だけの駅からは遠ざかっていった。気がついてみると、駅構内には見知らぬ人々がたくさんあふれていて、もう自分たちの駅ではないな、と思うようになっていた。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・昭和時代-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.30

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-33 「武蔵野市の歴史・昭和時代」

子供の頃、武蔵野町には省線の駅は吉祥寺、三鷹、武蔵境と3つあったが、武蔵境駅にはほとんど行ったことはなかった。終戦直後、吉祥寺駅前の広場に闇市が立っていて、ござ1枚に品物を並べて売っていたことをよく覚えている。ちょうど今、井の頭公園で露店が開かれているのとおなじような状況であった。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・昭和時代-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.29

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-32 「武蔵野市の歴史・大正時代-2」

むかし、吉祥寺駅前の商店街は東京大震災で夜逃げをしてきた人たちが開いたんだ、というような話を聞いた覚えがある。その駅前通りにはバスが走っていたが、バスがすりかわることはできなかった。当時の店でのこっているのは少ないが、いまも立派な店はある。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・大正時代-2」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.28

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-31 「武蔵野市の歴史・大正時代」

甲武鉄道という名前は聞いたことがあるだけであり、子供の頃は省線といっていた。戦後24年6月国有鉄道法が施行されて国鉄とよばれるようになったが、大人たちはあいかわらず省線といい続けていたように覚えている。さかのぼって大正9年5月には、明治39年3月以来の 鉄道院が鉄道省にかわって、院電が省電(省線) とよばれるようになったという。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・大正時代」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.27

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-30 「武蔵野市の歴史・明治時代-5」

誰もがその年になると兵隊になり、子供は大将にあこがれをもっていた。それが私の小学生の頃で、国民皆兵の時代である。物心がついたときの社会のありようが、その子供にとっての世界で、戦争をして負けて、貧乏をして、一生懸命働いて、それでもその世界の中に住んでいる。ほとんどの人は、その世界から逃れる術を持ってはいないのだと思う。
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2004.12.26

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-29 「武蔵野市の歴史・明治時代-4」

私は武蔵野町立第三国民学校に入学し、その同じ国民学校を卒業している。国民学校が存在していた年数を数えてみると6年間である。日本にとって国民学校とは何であったのか、国民とは何かについてきわめて貴重な資料がそこにあるような気がする。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・明治時代-4」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.25

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-28 「武蔵野市の歴史・明治時代-3」

明治時代に三多摩郡が神奈川県になっていたということは知っていたが、武蔵野市吉祥寺に関してそのことがどのように係わっていたか、今まで考えたことはなかった。神奈川県時代は21年にもおんでいる。昔風にいえば、ふた昔を越えているのである。
「井の頭のあらまし」の中の「武蔵野市の歴史・明治時代-3」を読んで、その中で気に入った文章を取り上げて感想を述べてみたい。

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2004.12.24

武蔵野郷土史刊行会「井の頭史跡散歩」を読む-27 「武蔵野市の歴史・明治時代-2」

明治五年五月、吉祥寺村をふくむ四カ村は共に神奈川県に入っている。またその前年の四年四月には戸籍法が公布になって正、副戸長が決められ、戸長には村役人がなっている。
神奈川県に入ったのはまだ吉祥寺村のころであり、ながい時期を神奈川県ですごしている。また戸籍法にともなってできた戸長に村役人なっているが、戸長というのは何をしていたのであろうか。
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