「体の中の原始信号」を読む-22
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第二章4「信号効果の特異性」では、重要な指摘がなされていると思う。それは「鍼灸で行っているようなデリケートな手技を弁別するようなシステムこそ、人間の身体に遺体制(rudimental biological system)として残っている「原始的信号系」ではないか、と私どもは考える。」としていることである。
つづけて、「私どもはこの未知のシステムを「Xー信号系」と名づけた。もちろん、こういう原始的信号系が存在することはいまだ仮説にすぎないが、後の章で列挙するような検証でその存在を示唆することが出来ると考える。」としている。
また、刺激作用と信号作用についての違いにふれ、刺激作用はその効果に累積作用があるが、信号作用は一見矛盾した効果が現れたり、作用方向に変化が見られるなど、刺激作用とは異質な効果であると述べている。
そして、「残念ながら、現代における鍼灸研究の関心事は神経系に対する刺激とその反応に集中されている。「X−信号系」の存在の可能性すら話題に上がらない。」と現況を嘆いている。
私の観点にしたがって考えてみたい。まず「原始的信号系」が遺体制であるというのは、著者達が最初から遺体制としての「原始的信号系」を考えていたからなのではないだろうか。著者達が仮説にすぎないという「原始的信号系」、名づけて「X−信号系」という系は、現実に存在して働き続けている系である、と私は考える。
鍼灸の研究ばかりではなく西洋医学的な研究方法は、著者達の言うように刺激を数量的にとらえて解析をする方法がほとんどである、と私も思う。刺激ではなく信号によって人間の制御・統制系が調整されているという著者達の観点は、「原始的信号系」という遺体制に留まっているとは言え、東洋医学の卓越した研究方法の神髄を突いているものだと、私は思う。
今日はここまで。
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第二章3「生体の二つの系」では、東大医学部心療内科の石川中が述べたことを引用している。
「生体には、二つの系がある。一つはエネルギー系で、他の一つは情報系である。エネルギー系は、身体の本来の活動に関する系である。筋肉の運動、血行、呼吸、消化等の機能をなす系で、生体のエネルギーの大部分はこの系で作り出され、消費されている。一方このエネルギー系を制御・統制する系が情報系である。エネルギー系の活動状態を刻々知り、これを適正な範囲に置き、最も効率良くこれを運用せしめるのに必要な系である。これに必要なエネルギーは前者に比べ、かなり少ない。自律神経系・内分泌系(神経内分泌系)等はこれに属する。」
そして、中国の伝統医術である鍼灸は、考えて見ると、生体のエネルギー系を直接の対象とせず、むしろ情報系に干渉を与えるという方向にいろいろの工夫を凝らした治療法である、としている。
更に、鍼灸が従来、西洋医学に理解されなかった大きな理由は、見かけの上で非常に微小な刺激がなぜそんなに大きな効果を生むのかというメカニズムがわからなかったからであろうとして、逆に言えば、今まで西洋医学は、情報系の制御という大切な可能性を十分考慮してこなかったということでもある、としている。
私の観点にしたがってここで考えて見たい。まずここで言う情報系を確認してみると、著者達は、情報系はエネルギー系を制御・統制するためのかなり少ないエネルギーを使った系であり、非常に微小な刺激によって干渉を受ける、としていることがわかる。
この生体のエネルギー系というのは、身体の本来の活動に関する系であるから、そもそもこの系が作り出されたとき、その統御系としてこの情報系が既に働いて作り出されている、と考えなければならない。つまり、統御の機能は統御される機能と同時に作り出されていなければならない、と私は考える。
この統制・統御する情報系は本来エネルギー系が活動中にその役割を果たし続けていなければならないのであるが、何らかの理由で役割が果たせなくなった場合には、当然生体のエネルギー系の機能に不調和が生ずることによって警告が発せられることになるのは、著者達が例を幾つか挙げている通りであると私も思う。
ここで問題となるのは、エネルギーと情報の両系の具体的な関連に関する事実についてである。これらの事実は今のところ十二分に集積されているとは言えないうえ、事実間の関係性を統一的に説明しているのは、著者達がいう通り中国の伝統的医術のみだと私も思う。
今日はここまで。
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第2章2「暗号解読の鍵は何か」において、まず、鍼灸治療は中国から伝来した伝統医学であって、その医学的理論を古典によって学ぼうとすると、その記述や概念に理解しがたいものが甚だ多いという。
中国において、多くの技術者達が貴重な体験を積み重ねた結果について、彼らなりにその体系を記述し文献を残しているが、その言葉は現代語ではなく、かつ技術独特の用語が多いので、その意味を理解できない現代人にとっては、あるいは一種の暗号であるとしている。
著者達はここに、古典鍼灸術のうちで多くの人が見逃している、暗号解読のための大切な要件を指摘する。として次のように述べている。
「人間の身体には、その種族発生の早い時期に成立していた「原始的信号系」が残存している。その後、重層的に発達した複雑な信号系、オートメーション・システム網のうちに埋没して、その存在は明瞭ではない。しかしこの微細な内外の情報を鋭敏に感受し、弁別し、遠隔的に伝え、生態の調整に役立っているシステムこそ、鍼灸のモーダスオペランディ(運用法)に重要な役割を演ずるものではないか。」
私はここで私の観点にしたがって考えてみたい。まず著者達によるこの指摘の意味するところを確認してみる。人間の身体に既に内在している通信系を前提にしなければならないこと、その後この通信系が発達したことは間違いないがその存在は不明瞭であること、この通信系を駆使しているシステムこそが鍼灸術の運用に役立つこととし、このシステムの解明を暗号の解読として予告していること、などである。
この唐突ともいえる指摘は、著者達の研究において到達した結論を要件という形で指摘したもの、と考えられる。私の観点にしたがえば、「原始的信号系」の残存というのは、原始的生物との類推からのことであって、人間がそれらの原始的生物を内包している存在であるこが考慮されていないように思える。
脳の成り立ちから考えても、また細胞自体が生命体の複合であることを考えても、通常の意味での残存などではないと考えられる。つまり、現実に機能している通信系の信号であると考えて差し支えないと思うのである。
今日はここまで。
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第2章「X-信号系の予感」において注目すべきところは、1「鍼灸医術における経絡現象」である。ここでは間中博士の提唱から重要な示唆が得られる。
「経絡の有無をただ論じても無意味である。そもそも中国人は、ある現象を認めてそれを説明する目的でこの言葉を作ったのであろう。人間の身体が今も昔も同じなら、そういう現象は現在でもあるに相違ない。これを仮に「経絡現象」と呼ぼう。これを尋究して、そのうえで、これを経絡と呼ぶべきかどうか改めて研究すべきではないか。」
そのご、日本での経絡現象についての研究成果を経て、中国で広範な研究が行われ、経絡現象に関する多く報告がなされている。しかしながら、現代の日本では経絡現象を積極的に治療に取り入れている鍼灸家は、多くない。それはなぜだろうか。と著者はいう。
私はここで私の観点にしたがって考えてみたい。経絡の有無については、著者の言う通りだと思う。広範かつ緻密な観察の結果認められた現象を、その再現性に基づいて記述していったものと思う。そのご世代を経るにしたがって、この現象の総体を統一的に説明する目的でこの言葉を作ったと考えるのは、誠に当を得ていると思う。
生命体が、その生命を幾世代ものあいだ世代交代を続けて維持継続しているという事実から考えてみよう。その意志を貫き通す通信手段と方法を原初から所持している細胞から成る生命体であるのだから、身体のあらゆる部分が身体全体を表現し、身体全体は身体のあらゆる部分に宿ることになるのは必定である、と私は思う。つまり、身体のどの部分も基本的に通信手段と方法を持っている細胞から成っているからである。
今日はここまで。
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第1章で次に注目したのは、5「信号の伝達を指で知る」である。「新しい診断システムとしての Oーリングテスト」として、大村惠昭の「バイ・デジタル Oーリングテスト」という診断方法をを紹介している。
この診断法は、被験者に手の二指で O 型の輪を作らせ、験者が二指をその輪に差し入れて開放しようとする時の抵抗の差をもって行う検査方法を考察し、名づけたものである。
そしてこの検査方法を用いて明らかにされた一見不可解な現象を記載し、診断点に存在している極微量の変化を指で受ける時、その変化も極微量の何ものかであるが、客観的に認知できる程度の変化を起こしている、としている。
さらに「O リングテストで薬剤適用を判断する」ことが出来ると、広く現代医学の領域にも応用可能な一つの新しい診断システムを提唱していることも紹介している。これらの不思議ともいえる現象を説明するのは容易ではないが、むかしの鍼灸家の方が、これらについてよく観察し、かつ治療に応用していたようであると、中国の古典に深甚なる評価をしている。
私はここで私なりの観点から信号について考えてみたい。著者は、何を介して信号が伝達されたかは分からないとしながらも、神経系の介在は必要条件ではないことは明らかであるとしている。
信号について論ずる場合には、その信号とは何ものなのかが信号の送受信者のあいだで分かっている、ということが前提である。信号の送受信者のあいだで信号が信号であると認知されるためには、信号が送られる前に、既に或る意志の存在に基づいた情報が作られていて、その意志ないしは情報を伝える信号になっていなければならない。つまり信号は送り手と受け手とのあいだで、送受信の前に既に了解されていなければならない、ということに注意する必要がある。
そこで、何らかの伝達路が介在して伝達路特有の信号が流れることになるが、この第1章ではまず、信号が存在していること自体に着目していることになる。
生体の送受信している信号は、一つの細胞から多細胞になっていった時に基本的に使われている通信系で、情報を伝える信号として生じ発達してきたものと私は考えている。
信号が伝えようとしている情報が何か分からないという場合には、情報の受け手が情報を読み取れない場合もあれば、第3者の立場からその情報を知りたいが読み取れないなどの場合があるので、その区別をしなければならないと思う。
今日はここまで。
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第1章「微小な刺激あるいは信号に秘められた力」で注目するところは、4「薬のもう一つの側面」である。この中で、「自然界の信号」としてブドウ酒の鑑定家の能力、警察犬の能力、オキナワミバエとフェロモンの濃度などにふれ、信号系(情報系)は「物質量」が極微量のレベルで作動していると考えてよい、いろいろの事実があるとしている。
また、「ホメオパシーの不可解な現象」として通常のアロパシーに対し、投与薬物の極微量の不可解な希釈度について述べている。そしてホメオパシー的思考が正統医学側からは認められていないが、正統医学の周辺でまだ未解決な問題が存在するという示唆は受けよう、としている。
著者はまた、こういう微小の世界、古代の中国的表現では「気」と呼んでいる世界も、未知ではあっても無ではないと考えて研究すべき分野であろう、とも言っている。
私はここでも私なりの観点を付け加えてみたい。それは生物の全体をそのうちに収めている一つの細胞が、分裂を繰り返して多細胞になっていく過程で、すでにここでいう「信号系」は使われているに違いないということである。つまり最初から信号系が存在しているという観点である。
存在自体に内蔵されている「働き」に「Y-信号系」と、私は名付けてみたい。一つの細胞が増殖して多細胞になっていく過程で働く信号系は、そもそも信号によって働くことが予定されているところにその奥義があり、働くこと自体に内蔵されているといえる。
今日はここまで。
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序章の見出しは「生物の未知のシステム」となっている。ここで著者は、私たちの体の細胞の一つ一つが想像を絶する知性を持っていると考えられるという。そして自然界を眺める観点を「三十億年の記憶」として提示している。
もう一つの観点は、アメリカの脳外科医カール・プリブラムによって提唱された「脳のホログラフィー理論」が指し示すホログラム的見方である。この、「部分のうちに全体がある」という見方は、中国医学においては昔から言わず語らずのうちに利用されてきたとして、耳鍼法、手指鍼法、頭鍼法、面鍼法などを挙げている。
更に、脳を一つのホログラムととらえる時、人間の脳そのものがこの地球のホログラムかもしれない、体の細胞の一つ一つが地球全体を投影していると考えることも出来るかもしれない、とそこに大きな可能性があることも提示している。また中国医学では天体の運行と疾病現象の関連について詳細な観察がなされ、その成果が古典的な法則に示されている。著者は、このことは極めて合理的であると考える、としている。
このような、人体をはじめ自然界に多く存在する未知のシステムを解く鍵は、「信号システム」であるという仮説を著者は立て、「X-信号系」と名付けている。そして本書で「X-信号系」の存在を様々な角度から確認することに努め、これをさらに追究していくと、身体と宇宙とは何らかの信号系で連動している可能性が見えてくるのではないか、としている。
私はここで私なりの観点を一つ加えてみたい。それは細胞が増殖することについてである。ここで使われている用語を用いるなら、「システム」がシステムを増殖し続けるということと、更にシステムのうちわずかな部分が発現していて、巨大な部分が未発現な形で存在しているということが、生物の明らかな特徴であるということである。
今日はここまで。
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「体の中の原始信号」(中国医学とX-信号系)間中喜雄・板谷和子・地湧社1990年2月25日初版発行を再読し始める前に、間中喜雄先生について述べてみよう。
私が 間中喜雄先生を知ったのはかなり昔のことである。箱根の宿に宿泊した時に呼んだマッサージ師に、耳針を貰ったことがあった。そのとき、自分はこの本で勉強しているといって紹介してくれた雑誌があった。「医道の日本」という月刊誌である。
「医道の日本」は薄い雑誌であったが、素人の私が読んでもとても面白い内容であった。すぐに定期購読者となってしばらく過ぎた頃、私の漢方医学の探求心に火をつけることになった人の中に、間中喜雄という人の記事があった。西洋医学の世界に育ったにもかかわらず、漢方医学に対する探求心は並外れている医学博士であった。
それから、間中喜雄先生が書かれた本を次々に読んで、すっかりフアンになったのである。でも私は一度も先生にお目にかかったことは無い。
間中喜雄先生は1989年11月20日78歳で永眠されてしまったが、残された素晴らしい著書達は永遠の生命を持ち続けると私は思っている。
今日はここまでとし、次から「体の中の原始信号」を読むことにしよう。
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