カテゴリー「気功・紀行」の記事

2004.04.12

野方みつわ通りのアンクルと野方の花々

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野方のバス停に着いたのは午後4時15分前であった。だいぶ前までは、いつも寄っていたドトールを通り過ぎて、喫茶店アンクルに入った。お客は声の高いおばあさん達ばかり、席は八割りかた一杯である。
いつものブレンドを頼んで SHIRAI DESIGN のリュックから「江戸三百藩 最後の藩主」を取り出した。たくさんのおばあさん達がおしゃべりしている中で本を読み出したが、本の内容が難しい割にはページが進んだ。

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2004.02.16

中野区野方「野方-金時煎餅」の旨い煎餅

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散歩の帰り久しぶりに「金時煎餅」に寄った。最近買っているは、小丸、エビせん、青のり小判の3種類で、今日もこの3種類を買った。この店は昭和8年に創業され、2〜3年前にリニューアルして瀟洒な店になっている。店に立っているのは若女将で、以前の店には大女将が出ていた。
だいぶ前に、10品位を1品づつ箱に詰めた手ごろな値段の品物を買ったことがあるが、私には煎餅が立派すぎてどうにも歯が立たなかった。軽くさっくりとした小型の煎餅の方が今の私には似合っている。
私には妙な癖があって、大きな立派な煎餅を食べるのは苦手で、幾つかに割った煎餅の方が気楽に食べられるのである。だから、立派な煎餅を割ってしまうか、いつまでもそのまま置いておくことになる。たぶん子供のころ、立派な煎餅は飾っておきたい宝物だったからに違いない。
商品一覧をみると、全国菓子博名誉会長賞受賞・「豆かき」軽い歯触りの豆入りおかき、同じく「金時」本格手焼きの醤油味を始めとして、とてもたくさんの種類の煎餅とあられとおかきが作られている。
この店と出会ったのは、私の師匠が野方に越されてからで、かれこれ10年以上も前になると思う。店は、西武線の野方駅と関東バスの野方停留所との間の賑やかな通りに、こじんまりとあった。
出会った当時は、昔風の煎餅屋で、昔よくあった煎餅の入ったガラス瓶も置かれていた。一度買ってみると、その懐かしい醤油味は私を虜にしてしまったのである。私は昔から醤油味に凝っていて、まだ追及の手をゆるめていないし、その気もない。
商品一覧に載っている品数は86種類に及んでいて、電話の注文で宅配もしてくれるが、私は2週間に一度だが師匠の家に通う散歩の時に立ち寄って、若女将の顔を見ながら買うのが楽しみなのである。
TEL/FAX 03-3330-0273、定休毎週火曜、特売毎月最終金曜。
煎餅の入った紙袋を貰うとリュックに詰めてバス停に向かった。

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2004.01.19

野方笑い地蔵尊

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今日は午後から野方に行った。何時もの喫茶店 Uncle に入って持参している本を読んだ。店を出るとすぐに横丁に入って、賑やかな通りに抜けるのが何時もの習いである。その途中に「野方笑い地蔵尊」がある。今日は目立って綺麗になっている。新しく大きい卍の紋のついた真っ赤な提灯が目を引く。卍の紋がついた紫の幕も真新しい。
予感もなく思いが浮かんだ。
筋違い道。筋違い道にお地蔵さんがある。道を筋と呼んでいるのはどこだろう。京都かな、いや違う、京都は烏丸通りだ。大阪かな、御堂筋、というのがあったな。江戸では筋向かいというが、通りの名前にはなかったと思う。
賑やかな通りに出ると果物屋、魚屋の声が懐かしく聞こえた。この通りを真っすぐに行くと西武新宿線の踏み切りである。

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2004.01.15

少林一指禅

少林一指禅は気功であるが、私は立禅であるとも思っている。座って禅を行うのではなく、立って禅を行うからである。だが、少林一指禅は思いも及ばないところからその道が始まるのである。
気とはどのようなものなのか、私は長いこと探索を続けていた。ある時、本屋で目に留まった題名に心を引かれ、私は惑わずその本を手に取った。この時、少林一指禅の門をくぐていたのである。
少林一指禅の気功は精神を全く集中させない。その練功は、普段の通りに目を開いて、見えているものを見つづけて行うのである。精神集中も瞑想も一切行わないばかりではなく、行ってはいけないのである。
座禅、瞑想の全ては精神を集中させることから始められ、精神の集中で終わっている。座禅者、瞑想者が精神集中の結果到達する世界については、昔から様々に語り伝えられ、現在も語り加えられている。この世界は、日常世界に通ずる道からは断絶していると思われ、非日常の世界ととらえられている。

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私にとって、少林一指禅に巡り合ったことはこの上ない喜びであった。師から少林一指禅の説明を最初に聞いた時、私のためにあるのではないかと心が震えるほど感激したのを覚えている。ここに到達するまで、すでに9年を超える瞑想を続けていたが、気をまだ知ることが無かったからである。
少林一指禅の練功の経過は、身体のリラックスの状態が螺旋状に経過して深まって行く、と分かっている。
身体のリラックスというのは、自身で自身の身体の重さを感じることが出来てくることに表れ、立っている身体を支える骨格筋を残して、他の筋肉が身体の平衡を損なわない限度まで緩んでくることである。
このリラックスの度合いが深くなって行く過程は、身体の上部から始まり下部に向かって何度となく繰り返して進む。これが螺旋を描いてリラックスの高みに上がって行くことなのである。
上昇螺線は真上から見ると円を描いており、正に同じことの繰り返しであり、横から見ると下から上への昇っていくのである。
私はこの繰り返しに慣れるまでに何年も掛かっている。最初そのリラックスの強い痛みの波の間隔は週であり、日となり、時となり、今では気にならないほど早くなってきている。
少林一指禅を練功して気を知るようになると、今まで気付かなかったことも徐々に気付くようになってくるし、探求心も強くなってくる。探求心は、練功の最中に勿論奮ってはならないのである。
練功をしていない時に大いに探求心を満足させることが、今の私にとっての健康法の一つであると思い、毎日探求の旅を続けているのである。

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2004.01.13

野方の喫茶店

1月5日午後4時ころ、いつもどおり中央線中野駅からバスで野方に着くと、少し歩いて喫茶店に入った。店にきたのは今年になっては初めてである。小ぢんまりとした店に、この時間お客はいなかった。
私は私の生涯でただ一人の師匠を持っている。この世に生まれ育って、巡り合うことの出来た幸せをいつも噛みしめている。もう15年を越えて教えて頂いている。
私が喫茶店に入るのは、師匠をたずねる時刻に合わせて時間を費やすためで、長いこと習いになっている。また私にとって好きな本を読む貴重な時間でもある。店に入って一番手前の席に、通りに面して座るとブレンドを頼んだ。ガラスのドアーを通して、何となく外の道を目の片隅に入れているのが好きなのである。
愛用のザックにはいつも本を2冊くらい入れておき、読む時の気分でどちらかを選ぶようにしている。その日は少し堅い方の本を選んだ。コーヒーに砂糖は入れない。クリームだけである。30代と思われる女主人とはもう馴染みになっているが、特に話をしたことはない。その日にはもう一人、年増の女性がいた。
突然ドアーが開き、賑やかな笛と太鼓の音とともに人が店の中に真っすぐに入ってきた。すぐにヒョットコだと分かった。女主人に対して大きな手振りで踊っているヒョトコの後ろ姿が目の前にあった。
この街ではお正月の懐かしい行事がまだ残されているのだ、と私の心が和んでくるのが分かった。笛や太鼓の音は、私に子供のころの気分を瞬く間に呼び覚まさせてくれた。
2004.01.05 16:17.JPGザックからデジタルカメラを取り出すと、もう踊り終わってドアーの外に出ているヒョットコに向けた。すると笛吹役がヒョットコに声をかけてポーズを取ってくれた。続いてお獅子役が笛と太鼓に合わせて舞ながら店に入ってきた。お獅子がひと舞して出て行くと、今度は役員が入ってきて女主人と話をしていた。こうして祝い事は終わった。
私も暫くして外に出ると、だいぶ先の方の人だかりの中に、笛と太鼓の音が聞こえていた。この街には小さな店が軒を連ねていて、いつも人通りが絶えない。それにしても八百屋、魚屋、総菜屋、洋品店、花屋など同業の店が何軒もある。ひと目で同じ店が3軒くらい見えてしまう。ここに来るたびに、いつもそのことに気が付いて、私は不思議な気分に見舞われる。この日も充分にその気分を味わっていた。
師匠の家に行くのには、これから西武新宿線の踏み切りを渡って10分以上歩かなくてはならない。くもって少し薄暗くなった道を歩き始め、やがて踏み切りの遮断機が閉まる前の警告音が鳴り始め、だんだん音が大きくなってきた。踏み切りをわたると住宅街になって新青梅街道に出る。
今日はここまで。

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