カテゴリー「雲取山・冬山登山」の記事

2004.02.25

東京都の最高峰雲取山登山の思いで その8

雲取小屋を出てだいぶ経ち里山にくだってきていた。そろそろ地下足袋を脱いで革靴に履き替えようとしていたころ、地下足袋の中の足が非常に痒くなってきているのに気が付いていた。山を降って気温が上がってくるのに従い、血液の循環が良くなって足の指が温まってきているのだ。地下足袋を脱ぐと足はどうしようもなく痒い、叫び出すほど痒い。取り出した父親の黒い通勤靴は小さく見え、膨らんだ痒い足を靴下ごと入れるには窮屈だな、と思案しながらしばらく黒い平らな靴先を眺めていた。でも他に仕方がないので、足の指と踵には既に大きな水泡ができていたが無理やり革靴に押し込んで履いた。また手の指先にも大きな水泡が現れていた。水泡と普通の皮膚との境目が非常に痒くなってきていた。それでも未だ水疱に触ることは出来た。
痒い足をかばって歩き続けた。バスに乗り電車に乗り継いでいる間、足の痒みの他のことは何も考えられない状況を、じっと我慢していた。私の世話をして下界に連れ帰ってくれた後見人は自宅のある小金井駅で降りた。私は後見人のお名前を覚えていないが、その時も今もいつまでも感謝している。それから、ますます痒くなる足を引きずりながら吉祥寺の家に帰り着いた。こうしてともかく帰還することだけは出来たのである。

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2004.02.24

東京都の最高峰雲取山登山の思いで その7

翌日私は異様な感じに襲われて雲取小屋で目が覚めた。耳朶に何かついているのだ。触ってみると耳の周りに大きな毛虫のような形をしたものが付いていた。
それが凍傷だと聞かされたが、私にはその重大さは分からなかった。
カマセン(鎌仙)は、今日はこのまま直ぐに山を降りなさいと言った。私は、1週間分の米を持ってきたから一週間泊めて下さい、と何遍も頼んでみた。しかしカマセン(鎌仙)は断固として山を降りなさいと言った。この人と一緒に降りなさい、と言って私には大学生に見える屈強な後見人を紹介してくれた。後見人はキスリングザック、登山靴、ズボンに上着と登山装備は私とは格段の違いである。私は父親の古い背広とズボンに黒い通勤オーバーを着て地下足袋を履いた姿であるが、ザックだけは赤城さんに借りた貫録のあるキスリングザックであった。
私は後見人と連れ立って山を降りることになった。外に出ると、辺りはさんさんと輝く太陽の光で明るく、くだるにつれて雪が少なくなり、次第に春のように温かく感じられてきた。雪がなくなり水に濡れた地面を見ることが多くなってきていた。
後見人は私に色々と山のことを教えてくれた。昨日雲取山の頂上から見えた灯は遥か下の秩父の灯で、もし昨日雲取小屋を通りすぎてしまったら、下の秩父の灯まで辿り着くのは容易ではない、小屋を見つけてよかったんだよ、といって私を慰めてくれた。

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2004.02.23

東京都の最高峰雲取山登山の思いで その6

深い雪山の中で初めて、自分の声以外は聞こえようのない独りになっていた。その時、左側に少し離れてうす黒い小屋のようなものが見えたが、人気は無さそうであった。そのまま通り過ぎてから、ほんの直前、左側の少し奥に縦に長く細い一本の光のようなものが見えたことが、心に閃いた。あれは灯の光ではなかっただろうか、引き返してみると、縦に長く細いが強くて明るい灯の光が、目に飛び込んできた。
近づくまでもなく、山小屋の戸のすき間から漏れ出してきている灯の光であることが分かった。身体がばねのように踊って、一目散にその戸の方に向かって走っていた。何と叫んでいたか今は思い出せないが、たぶん今晩は!今晩は!と大声を出して、その戸を力一杯ガラガラと開けたのだと思う。そのまま行き過ぎなくてよかった、ただその感激だけが稲妻のように身体の中を貫いていた。
山小屋には人がいっぱい居て、温かそうだった。早速カマセン(鎌仙)に話をして赤城さんの言葉を伝えた。私は嬉しくて嬉しくてどう振る舞ったらいいか分からず、ただ何かしゃべり続けていたことを覚えている。このとき時刻は夜の9時を既に回っていた。
カマセン(鎌仙)は付ききりで私に何か言い続けているが、最初何を言われているのかよく分からなかった。落ち着いてくるとカマセン(鎌仙)の言っていることが分かってきた。今日は眠ってはいけない、足と手をこすり合わせ続けていなさい、眠ってしまうと凍傷になってしまう、と言っているのだ。だが、次第に襲ってくる眠気には耐えられず、私はとうとう眠りに落ちてしまったのである。

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2004.02.22

東京都の最高峰雲取山登山の思いで その5

時折風の音が吹き抜ける以外はとても静かな雪山の中を更に進むと、チリンチリンと直ぐ後ろから自転車が迫ってきて、思わず身体を除けることもあった。また直ぐ左側に電信柱が現れ、身体を寄り掛からせようとして何もないことに気が付き、踏み止まったこともあった。
だいぶ進んで山道が少し広くなった頃、左側に黒々とお堂のような形の建物が現れてきた。近づいてみると、確かにお堂であるが人は住んでいないことが直ぐに分かった。お堂はその中まで真っ暗だったのである。
更に進み、相当くだってきたので私はこの辺りに山小屋があるはずだと探し続けていたが、一向にそれらしきものは現れてこなかった。周囲の木々には黒々とした葉が茂ってきているし雪も相当多くなっているので、もし山小屋が現れなかったら、雪洞を掘ってその中に入らなければならない、と切実に思うようになってきていた。雪洞の形と中に入っている自分の姿が心に浮かんできていた。

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2004.02.21

東京都の最高峰雲取山登山の思いで その4

雪の中に道を見失った私は直ぐに後戻りをして、雲取山頂に引き返して再び山頂に立った。赤城さんの言葉を想い出して、何度もくだる方向を見定めていると、前方に灯がちらちらと見えてきた。その光はかなり大きく、最初は近いところに感じられたが、よく見ると遠いところのようでもあった。方向は赤城さんのいう通り向こうであるので、その光に向かって再びくだる決心をした。
先程の大きな木のところに着いたので、今度はしゃがんで足跡を丁寧に撫でながら進んだ。足跡は、大きな木の右を回って登ってきていることが分かった。先程は大木の左をくだってしまったので、足跡を見失っていたことが分かった。
月明かりに照らされた雪の面に、ちらちらと細長い三角形の光がたくさん踊っている。周囲に聳え立つ木々の細かい枝の中を通り抜けてくる月の光が、雪面に細身の月の姿をたくさん映しているのだ。
しばらくすると右側の奥でギーと、ドアーの開く音がした。そちらを見ると、背の高いおとぎの国の洋館風の建物の大きなドアーが開いたように、一瞬見えた。またしばらく進むと、左後ろの遥か遠くで、電車の走っているゴーという音が長いこと聞こえていた。幻視と幻聴が私を襲ってきている、そう思っていても不思議と怖さは少しも生じてこなかった。

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2004.02.20

東京都の最高峰雲取山登山の思いで その3

七ツ石から、長い尾根を登り出すと次第に地面に積もった雪が現れ、やがて雪の量が多くなって地面が見えなくなってきた。なお雪が増えてきているころ、突然前方から人が一人くだってきて私に話し掛けてきた。その人は自分の靴からアイゼンを外すと、私に付けるようにとアイゼンを置いて再びくだっていった。
地下足袋に履き替えていた私はそのアイゼンを付け、更に進んでいくと遂に雲取の頂上に出たと思われるところに着いた。そこは少し広く、なだらかで、確かに一番高いところであった。月は真上にあって近く、すごく細身であるがとても明るい。足の下は白く光っていて起伏が少なかった。
雲取山頂を向こうへ、赤城さんから教えてもらっていたことを思い出し、復唱しながら、深くなっている雪の上に付いている一人分の足跡の窪みを丁寧に追った。さっき出会った人の足跡に違いないと思って追った。
少しくだったところで道の真ん中に大きな木があり、そこで足跡を見失ってしまった。しゃがんで、雪の表面を手で撫で回して探したが、登ってくる足跡は見つからなかった。

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2004.02.19

東京都の最高峰雲取山登山の思いで その2

雲取山に登るための地図というのは、真っすぐに登ると横から来ている尾根に突き当たるから左に行くこと、すると雲取の頂上に出るから、頂上を越えて真っすぐに向こうに行く、しばらく行くと左側に雲取小屋があるから、小屋に入ったらカマセンという人に赤城の友人ですといいなさい、というものであった。
私の出立ちといえば、父親の革靴を履いて父親のオーバーを着て赤城さんに借りたやや大きめなリュックを背負った姿であった。リュックの中には米一升を入れて、1週間居るつもりであったことだけ覚えている。
当時は未だ奥多摩湖は影も形も無かった時代で、電車で氷川まで行きバスで小さな部落の停留所に降り立った。そこから直ぐに登り始めて丁字路に着いたのはお昼をだいぶ回っていたと思う。明るいところにでて、七ツ石というところだったと覚えている。そのあたりからだと思うが、革靴を地下足袋に履き替えて登った。

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2004.02.18

東京都の最高峰雲取山登山の思いで その1

だいぶむかしになるが、その年の正月の3日、私は一人で雲取山に行くことになった。連れていってもらう約束の赤城さんが前日からのお酒に酔っていて、自分は行かれないから一人で行ってくれ、といったからである。
雲取山に連れていってもらう約束をしたのは暮れのうちで、とても綺麗なところだからぜひ行ってみなさい、山小屋にはカマセンという懇意な番人がいるから、と赤城さんが熱心に勧めてくれたからである。私が新生中学の2年か3年の時であったと思う。高い山に登るのは初めてで、それまでに登った山といえば遠足で登った高尾山くらいであった。
焼酎に酔っていた赤城さんは、粗末なノートの切れ端に簡単な地図を書いてくれたが、それはたった2本の線しか描いてなかった。1本の線が上に延びて長い横線に突き当たっている、只それだけであった。その地図の読み方の説明だけは何度もしてくれた。

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