カテゴリー「迷路・散策」の記事

2004.07.22

「暦の知恵・占いの神秘」を読む-10

第1章「十干と十二支の知識」の「十二支と十二次」において、著者永田久は次のように述べる。
「歳星のプラス回転運動による歳星紀年法は、それに対応するマイナス回転の太歳による太歳紀年法に移り、十二次は十二辰(十二支)と次のように対応することになった。
・大歳紀年法・・・歳星紀年法
・・十二辰・・・・・十二次
・(十二支)
・・・寅・・・・・・星紀・・・・せいき
・・・卯・・・・・・玄枵・・・・げんきょう
・・・辰・・・・・・娵訾・・・・じゅし
・・・巳・・・・・・降婁・・・・こうろう
・・・午・・・・・・大梁・・・・たいりょう
・・・未・・・・・・実沈・・・・じっちん
・・・申・・・・・・鶉首・・・・じゅんしゅ
・・・酉・・・・・・鶉火・・・・じょんか
・・・戌・・・・・・鶉尾・・・・じょんび
・・・亥・・・・・・寿星・・・・じゅせい
・・・子・・・・・・大火・・・・たいか
・・・丑・・・・・・析木・・・・せきぼく
こうして十二次は十二支と対応して、一年ごとに子、丑、寅・・・と名づけられるようになったのである。」
続けて著者永田久は述べる。
「年を十二支で呼ぶようになった暦は、「後漢書」によると、黄帝暦は辛卯、顓頊歴は乙卯、夏歴は丙寅、殷歴は甲寅、周歴は丁巳、魯歴は庚子を暦年にしたとある。前漢・武帝の紀元前104年「太初元年」に、それまで秦の国で用いていた顓頊歴を改めて、鄧平が<太初歴>を作った。干支による紀年法を制定して、紀元前104年を「丁丑」と定めた。この年干支は、のちに宋の時代、445年可承天の作った<元嘉歴>に引き継がれた。この<元嘉歴>が欽明天皇15年(554)に日本にもたらされ、推古天皇12年(604)に日本で初めて暦日を用いるようになった、その暦として採用されたのである。<元嘉歴>によれば、604年は「甲子」の年である。以来、千三百年もの長い間日本では暦が変わっても年干支はそのまま引き継がれて現在に至っているのである。」

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2004.01.22

所作に満ちている道

朝起きて、いつものようにリビングにいく途中、書斎のカーテンを開けて光を入れると外の景色を見る。私のいつもの所作になっている。窓の外に見える景色は毎日違っていて、一日として同じではない。
所作と思うようになったのはある日カーテンを開けていて、こうするのが習慣になっているなと感じたときからである。

2004.01.01 08:37.JPG

細かい動作が所作といわれている世界はたくさんある。お茶やお花をはじめ芸能武芸一般、宗教儀式から占法と、人の動きに係わる世界には全て存在している。つまり所作は、文化を成り立たせている一面なのである。
この所作が繰り返され、形や型として認識されるとそこに道が見えてくるのではないだろうか。たくさんの人がこの道を通り過ぎ、後から来る人がこの道を踏み外さなくなったとき、初めて人々はここに道があるというのだろう。
だから、どの道に入ってみても、その中は沢山の所作に満ちているのだと思う。どの道も多くの古人が思いを込めながら歩いて来たので、次第に所作が洗練され、こんなにも美しい型や形が生まれたのだと思う。
書斎に座って時折窓から外を眺めるのもいい。見るたびに景色が変わっていて、あるものは大きく、あるものは少しも変わっていないように変わっている。ここは一つ、ありのままに見過ごすことにしょうと思う。

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